【今までの話】↓
さて、更にインストラクターになる
子育てに入る以前の
就職からの自分の働き方計画を振り返ります。
ずっと、踊ったり、唄ったりが大好きと宝塚にどっぷり
また、インドアに洋裁や料理が好きだった学生時代
「宝塚に入るなんてムリ!バレエの才能ナシ!」と、
周りや自分も諦めていた私は、家政学科服飾専攻の短大に進学。
卒業後、20歳での就職は
「男女雇用機会均等法元年」に
一流損保での事務職。
年ボーナス3回の優雅な時代でした。
ただ、事務職の能力が低い私は、
残業、休日出勤が続き、今で言うメンタル不調気味で、
「貯蓄をして、25歳にはインストラクターに転職する」と決め、
家を出て、ひとり暮らしとフィットネス業界に転職。
年収は1/4に減ってしまいましたが…
次の目標は、「30歳までにフリーインストラクターとして軌道に乗る」
でした。
この転職に関しては、
周りの殆どの人が
「由香里さんには無理だろう…」と思っていたようで
母には、
「せっかく一流企業に就職できたのに勝手なことを!」
と勘当同然で家を出た経緯があります。
また、現旦那と付き合っていたのですが
会社の同僚から
「彼女が働けなくなった時は、面倒を見る気はあるんか?」
と言われたらしい(←結婚後まで私は知らなかった。)
27歳で結婚するに至りましたが、その頃には
数件のスポーツクラブと契約を結び、何とか収入を得るようになっていました。
29歳で長女を出産するまでに
「フリーインストラクターとして軌道に乗る」
は、一応達成できたかな?と思います。
周りからどう言われようと、
「自分のやりたいをできる方が幸せ」
幼い頃から
「あなたは、何にもできない子だね」
と言われ、取り柄がないと思っていた自分が、
社会人になって変われた体験の10年間でした。
その後は、30歳からの下の娘が高校生卒業するまでは
5年スパンで人生目標設定は封印
子育て優先。
自分中心の人生設計から、
「自分の子どもを育てる・子どものサポートをどうする?」
が、自分の仕事より難しい!!の毎日がスタート!
特に、長女を産んだ年に
平和だったバブル後の大事件
「阪神大震災」と
「オ〇ム真理教」が次々と起きて
どうやって、娘たちを育てればちゃんとした大人になる?
が、私の課題となりました。
子どもの教育についてと仕事観に悩む…
次回に続きます。
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